2016年1月31日日曜日

・<25 plus 9>「高齢期を考えるシンポジウム」

 「高齢期を考えるシンポジウム」が31日、水戸市福祉ボランティア会館で開かれ、市民運動「新・市民会館計画を白紙の戻し、市民の声を反映させる会」(市民の会)の宣伝活動のとりくみの後の午後は、このシンポジウムに参加しました。
 
 シンポジストは水戸市高齢福祉課・土屋氏と医療生協(茨城保健生協)の中山弘子企画部長。とりわけ水戸市高齢福祉課の土屋氏は、「地域包括支援センター」とは何か、ということについて興味深い説明をしました。小生も役所の担当者から直接聞くのは初めてでしたのでたいへん勉強になりました。
 
 

 
 氏は憲法25条の「国民の生存権」と国の「生活保障の義務」を上げたうえ、1950年「社会保障制度に関する勧告」で「地域包括ケアシステム」がつくられた経過を説明した。その時の総理大臣は吉田茂であり、審議会会長は当時社会党左派の理論的指導者だった、いわゆる「労農派」のマルクス経済学者で東大経済学部教授だった大内兵衛(当時法政大総長)でした。
 それよりも小生が気になったのは、勧告で国家が責任をとる以上は「国民もまた、社会連帯の精神に立って、それぞれその能力に応じてこの制度の維持と運用に必要な社会的義務を果たさなければならない」。として「地域包括ケアシステム」について、行政が ❝高齢者を「サービスの受け手」から「サービスの担い手」❞ に位置付けたことです。
 しかし、「勧告」が出された当時の認識は「敗戦の日本は、平和と民主主義とを看板として立ちあがろうとしているけれども、その前提としての国民の生活はそれに適すべくあまりにも窮乏であり、そのため多数の国民にとっては、この看板さえ見え難く、いわんやそれに向かって歩むことなどはとてもできそうではないのである。問題は、いかにして彼らに最低の生活を与えるかである」(50年勧告)。ということであり、財政難の中で、当時先進国の趨勢であった国民が一定の負担をする「社会保険を基本とした社会保障制度」の導入を選択したからにほかなりません。
 それが「自立・互助」、「共助」の現代版「社会保障」では「高齢者が活躍できる場を創造」(水戸市高齢福祉課土屋氏)するとして、健康な要介護前高齢者をまず「介護者」に組織することで、超安上がりの「介護保障」をつくり、社会保障費を削減することにあることは明らかです。
 年金暮らしの高齢者の年収は多くても200万円足らずの低所得者層であり、
その低所得高齢者に「自分が介護される前に介護者になれ」というのは、まことに「下司の極み」としか言いようがありません。「50年勧告」を引き合いに出すなどもってのほかで、「たたかわない高齢者」づくりの極みです。
 しかしながら、行政がこうした「論理的」根拠をもって「地域包括ケアシステム」を推進しているということに驚きをもって受け止めました。 おそらく国をはじめ、上から下までこうなんだろうなという感想をもちました。   
 
 
  一方、もう一人のシンポジスト、医療生協・中山氏は「住み慣れた地域で、健やかな老後を迎えることができる社会」をつくる、明るいまちづくりを提唱、「高齢者のくらしを丸ごと支える視点でのネットワークの構築」するとしたうえで、「制度の充実が不可欠」とし自治体との懇談を推進するなどの課題を提起しました。
 
 医療生協の地域包括ケアがすべてとは言いませんが、自律・自助と共助によって医療介護保険制度を民間保険の導入などで社会保障制度を解体しようとするアベ政治から、住民を守る防波堤となるべき地方自治体が国のいいなりになっている現状では、非営利共同の運動が第三の勢力となって、この分野での活動を住民と一体となって強めることはそれこそ将来の「福祉国家」の道を切り開くことに間違いはなさそうです。
 
 そのとりくみと発展を期待します。

0 件のコメント:

コメントを投稿