2012年1月4日水曜日

・「Mr.Rabbi」(2)~生後6か月のその頃


ボクが生後4ヵ月目になる2003年12月には、そろそろ身体に免疫がつき屋外への散歩がOKになる頃なのだ。

この頃のボクは、外に出たくて出たくてしょうがなくおカミさんに駄々をこねた。カミさんはそれを察してか、リードをボクの口元にさし出した。ボクはそれをくわえて、誰がリードするでもなく自然にくわえたまま歩きだし、家の周りを歩き回っていた。今から考えれば、これも学習と言えば学習なのだ。

そうですね。千波湖に散歩に行けば、年頃の女の子チャン達から「わぁ~かわいい~」とかとキャーキャー言われ、モテモテでこの頃からもう「人気者」だったんです。今もどこに行っても人気者ですけど。(@_@。たはっ。

その頃のボクとおカミのツーショット。   Rabbi
 この次の画像をご覧あれ。そうした勉強で、今でもこうやってオヤジさんをつれて散歩をしているとな。

6年後のリードをくわえたボク。ほら。   Rabbi
しかしながら、ボクは決して「芸」というものはやらない。それは盲導犬や介助犬にラブラドール・レトリーバが圧倒的に多いように、おりこうさんで優しいといわれている、そのプライドが、芸をどうしても許さなかったのである。芸なんかやればなんでもできるのだがな。それに、モテたもんだから少しいい気になっていたかもなぁ。

そうこうしているうち、2004年の寒~い2月、帰郷出産のために次女の娘のみっちゃんが水戸に来たのだ。近くの病院で2月27日(閏年でもう少し待てば4年に一度の29日だった)に女の子を無事出産。産後の療養のために生まれたばかりの赤チャンと我が家に滞在することになった。
オヤジさん夫婦にとってはこの子は初孫で、とにかく可愛くてかわいくて仕方なかったようだ。

2月27日 キヌタン。
その頃のボクは広い?屋外で自由にしていた(屋外におかれた)が一人だととても退屈で退屈で・・・・・・・あぁたまんねぇ。
みっちゃんと赤ちゃんは1階にいたので、ボクはガラスの戸をガンガンたたき、中に入れろと吠えまくったそうな。かなりやかましいのだよ。仕方なく彼女たちは雨戸を閉め、シャットアウトを決め込んだ。そうして我慢できなくなり一週間ほどで東京に連れて帰ってしまったのだ。ごめんなさいWon!。
そんなわけで、子どもを守る母は強い。みっちゃんにとってボクは天敵だった。当時ボクとみっちゃんは最悪の仲だったのである。いつもニコニコしているが、実はその後遺症が残っているかもしれない。

10か月の頃のキヌタン。

女の子は「衣子」(きぬこ)と名付けられ、元気に育っていくことになる。そんなことは知らないキヌタンとボクはとても仲良しなのだ。ボクは2003年8月生まれなのでキヌタンとは同級生ということになる。

6歳のキヌタンとボク        Rabbi(2011/01/24)
しかし、2004年は茨城に移って三年目、この頃オヤジさんにとってその人生で最悪の時期が待っていたのであった。ジャジャ~ン。

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