2012年1月31日火曜日

・TPP参加と医療~アメリカの狙い?

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日本のTPP参加が進行している。アメリカの日本の「KYOSAI」解体に関する想いはあからさまであるが、この混合診療の拡大これまた「悲願」(共同通信)だという。医療制度へ混合診療を持ち込んだのもアメリカであり、今は「倒産」したようだが、神奈川に自由診療を業とする株式会社の医療機関を開設させたのは構造改革の小泉内閣なのであった。共同通信がアメリカの狙いを説明した。以下、全文を引用したい。
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富裕層に恩恵、格差拡大 日本「皆保険」崩壊を懸念
「TPPと日本」「米国の狙い」医療制度



日本では健康保険証を持っていれば誰でも、いつでも、どこでも医療を受けられる。この「国民皆保険」制度が米国にはない。公的医療保険は高齢者向けなどに限定され、高額な民間医療保険に加入できない人が多い。

オバマ米政権は医療保険改革法を成立させた。しかし、米コロラド州デンバーで人材派遣業を営むスティーブ・ジェンキンスさん(51)は「抜け穴」があると指摘し、「病気になっても医者にかかれない人がいるのが米国の現状だ」と嘆く。

一方で「自助努力」を説く保守層は、医療改革に反対を強めている。

米国では、薬の価格も市場原理で決まる。革新的な医薬品は特許が切れるまで価格が高く、一獲千金を狙う医薬品会社による新薬開発競争が活発化するメリットがある。ただ恩恵を受けるのは富裕層で、薬を買えない人との格差が広がる。

日本医師会などは、日本が環太平洋連携協定(TPP)に参加すれば米国型の医療制度の導入を迫られ「国民皆保険は崩壊する」と心配する。

日本の外務省が民主党に提出した米側の文書には、公的医療保険の運用について「透明性と手続きの公平性の尊重を求める」と書かれている。

米通商代表部(USTR)高官は「新興国で米国の医薬品の販売を拡大するのが目的。日本とは(特許など)知的財産権保護の取り組みで協力したい」と釈明するが、日本の疑心暗鬼を招いた。

米政府がこれまでも日本の医療制度に口を挟んできたのは事実だ。公的医療保険が適用される保険診療と、適用外の自由診療を併用する「混合診療」の解禁は米国の悲願といわれる。米企業の競争力が高い医療機器や新薬、医療保険を売り込む機会が広がるからだ。

高度な医療を受けたい患者らの要望もあり、日本政府は2006年から一部、例外的に混合診療を認めてきた。業界関係者によると、「時間がかかりすぎる」といわれた新薬の認可も今では米国より迅速になり、米側は公式の場では日本に混合診療解禁を求めなくなったという。

米側が「TPPの原型として意識している」(米保険業界)のは、2月にも発効する米韓自由貿易協定(FTA)だ。韓国での薬価の決め方に不服がある場合、米業界が見直しを申請できる独立機関の設置が盛り込まれた。米国は日本の薬価算定ルール見直しも狙っているとの見方が多い。

民主党のマクダーモット下院議員は「製薬会社の利益優先」と、米政府の露骨な交渉姿勢に顔をしかめた。
(ワシントン共同)


※米医療保険改革

米国には医療保険に加入していない人が4千万人超いる。2010年、政府が補助し大多数の国民を民間保険に加入させる医療保険改革法が成立したが、公的制度導入は見送られた。一方、国民の自由を奪い保険に強制加入させるのは憲法違反だとして訴訟も起きている。環太平洋連携協定(TPP)の交渉では、医療保険制度自体は議題となっていない。しかし、米国企業がビジネス拡大のため制度見直しを求めることを日本の医療関係者は警戒している。
(共同)

2012年 1月30日 共同通信社


2012年1月9日月曜日

・今年もコブハクチョウが逆川に

ボクは親爺サンと(カミさんもしばしば付き合う)散歩ではない早朝のウォーキングに毎日励んでいる。親爺もオカミもボクのおかげで毎日運動ができると喜んでいる。

Walkingをはじめてもう今年は9年目なのである。ボクの年齢(とし)も今年の8月の誕生日で9歳になる。人間でいえば還暦ぐらいの歳であろうか。来年は歳で親爺さんを追い抜くことになる。

Walkingは2003年末の冬から始まり春・夏・秋~そして冬。雨の日も風の日も、雪の日も、冷たい霙(みぞれ)の日もある。ボクは何を隠そう・・・イヌであるから夏はつらいが、冬は毛皮を羽織っているし軽快だ。

通常Walkingは朝4時半から動き出し始める。1月のこの時間の外界は真っ暗闇だ。Walkingは文字通り朝飯前の運動である。今日は休日なのでゆっくり明るくなってから出かけた。

逆川緑地公園で2012年1月、あのコブハクチョウのご夫婦に今年も出会ったのだ。

2012.01.09 コブハクチョウの夫婦
今年もちゃんとヒナを孵してくれるだろうか。果たして放射能の影響はないのだろうか。
一番心配なのは放射能の影響だ。かかりつけの獣医さんは、「まあ水戸の野っぱらでも100Bq/kgぐらいは出ている」と言っておったわ。まあ草は食わない方がよいに決まっているが、ボクは短命だし歳だしなぁ・・・。胸焼けするしやっぱりムシャムシャやってるよ。


さて、このコブハクチョウの故郷はこの逆川緑地公園だ。3月中旬から下旬にかけて産卵~抱卵して5月初旬ごろヒナが孵るようだ。ヒナは公園のクローバーの新芽などを啄ばみ育っていく。ヒナがちょっと一丁前になると餌(人工?)の豊富な千波湖に行って年末年始ごろまでそこで暮らし、親はまたこの故郷でヒナを孵すようだ。お互いに相手が変わっている様子もなく、一夫一婦制の仲の良い夫婦なのだ。しかし、専門家でもないのであくまで素犬考えだ。


彼らはこの界隈の人気者で、散歩する人、ジョギングの人たちが毎年楽しみに迎えている。昨年は7羽、一昨年は8羽のヒナを孵したのだ。
「凄いねぇ。頑張るねぇ」と界隈の人々はいっぱい元気を頂戴しておったのであった。

今年は、311大震災・原発事故1周年だ。みんなが復興・脱原発を重ね合わせ昨年・一昨年を超える数の元気なヒナを孵してほしいと願っている。

2012年1月4日水曜日

・「Mr.Rabbi」(2)~生後6か月のその頃


ボクが生後4ヵ月目になる2003年12月には、そろそろ身体に免疫がつき屋外への散歩がOKになる頃なのだ。

この頃のボクは、外に出たくて出たくてしょうがなくおカミさんに駄々をこねた。カミさんはそれを察してか、リードをボクの口元にさし出した。ボクはそれをくわえて、誰がリードするでもなく自然にくわえたまま歩きだし、家の周りを歩き回っていた。今から考えれば、これも学習と言えば学習なのだ。

そうですね。千波湖に散歩に行けば、年頃の女の子チャン達から「わぁ~かわいい~」とかとキャーキャー言われ、モテモテでこの頃からもう「人気者」だったんです。今もどこに行っても人気者ですけど。(@_@。たはっ。

その頃のボクとおカミのツーショット。   Rabbi
 この次の画像をご覧あれ。そうした勉強で、今でもこうやってオヤジさんをつれて散歩をしているとな。

6年後のリードをくわえたボク。ほら。   Rabbi
しかしながら、ボクは決して「芸」というものはやらない。それは盲導犬や介助犬にラブラドール・レトリーバが圧倒的に多いように、おりこうさんで優しいといわれている、そのプライドが、芸をどうしても許さなかったのである。芸なんかやればなんでもできるのだがな。それに、モテたもんだから少しいい気になっていたかもなぁ。

そうこうしているうち、2004年の寒~い2月、帰郷出産のために次女の娘のみっちゃんが水戸に来たのだ。近くの病院で2月27日(閏年でもう少し待てば4年に一度の29日だった)に女の子を無事出産。産後の療養のために生まれたばかりの赤チャンと我が家に滞在することになった。
オヤジさん夫婦にとってはこの子は初孫で、とにかく可愛くてかわいくて仕方なかったようだ。

2月27日 キヌタン。
その頃のボクは広い?屋外で自由にしていた(屋外におかれた)が一人だととても退屈で退屈で・・・・・・・あぁたまんねぇ。
みっちゃんと赤ちゃんは1階にいたので、ボクはガラスの戸をガンガンたたき、中に入れろと吠えまくったそうな。かなりやかましいのだよ。仕方なく彼女たちは雨戸を閉め、シャットアウトを決め込んだ。そうして我慢できなくなり一週間ほどで東京に連れて帰ってしまったのだ。ごめんなさいWon!。
そんなわけで、子どもを守る母は強い。みっちゃんにとってボクは天敵だった。当時ボクとみっちゃんは最悪の仲だったのである。いつもニコニコしているが、実はその後遺症が残っているかもしれない。

10か月の頃のキヌタン。

女の子は「衣子」(きぬこ)と名付けられ、元気に育っていくことになる。そんなことは知らないキヌタンとボクはとても仲良しなのだ。ボクは2003年8月生まれなのでキヌタンとは同級生ということになる。

6歳のキヌタンとボク        Rabbi(2011/01/24)
しかし、2004年は茨城に移って三年目、この頃オヤジさんにとってその人生で最悪の時期が待っていたのであった。ジャジャ~ン。

2012年1月1日日曜日

・大晦日に娘たちがやって来た


オヤジさんたちは29日から年末年始休暇である。
ボクはいつも昼間は番犬として警備の仕事をするが、今日からしばらくはボクも休暇である。

31日大晦日、長女と三女と三女の彼氏の三人がやって来た。毎年誰かは帰ってきてくれるので楽しみにしているが、その時にならないと誰が来るかは分からない。

今年は大変な年だったが、年ごろの一文字は「絆」だった。国民のすべてがそう感じた年であったに違いない。
東日本大震災・原発事故でいまだに334,786人もの方々が避難生活を余儀なくされて正月を迎えようとしている。そして3,451人の方が行方不明である。
ボクたちは、被災された方々が一日も早く普通の生活に戻れることを心から願っている。そんな「絆」、連帯を感じながら新年を迎えたいと思う。

オヤジ夫婦が娘たちを駅に迎えに行った。ボクも一緒に行きたいのに置き去りにされた。今年の災難を振り払う大晩さん会の準備もかねて行ったらしく、なかなか帰ってこない。娘たちがお魚市場で買い物がしたいということで那珂湊まで買い出しに行ったということだった。これはここ数年恒例になっている。

5人は夕方近くに帰って来た。逢うのはしばらくぶりだったので嬉しかった。まあ退屈しないで済むしな。

地震被害か、仕事中の車両事故のお見舞い金を「余禄」と勘違いしたカミさんが豪勢なオードブルを買い込んだ。サービス精神が旺盛だ、というよりカミさんの食い意地だろう。

画像はこちらから
yon2のブログ 宴会

そして、生の鯨肉の塊もあった。うちは親戚中で鯨肉が好きらしい。彼らが酔って調子良くなれば必ずボクも鯨肉にあずかれるのだ。
宴会が始まり、紅白歌合戦も始まった。
「このクジラってほんとのクジラ? イルカちゃんじゃないの?」
・・・・・まずは動物愛護と環境問題で議論!
「私たち来年結婚します」
・・・・・って。めでたいめでたい.ほんとによかったね。
よく盛り上がったものだ。
そしてなんとよく呑む人たちだ。500ccと350ccの缶チューハイ24本がなくなり、ワイン、芋焼酎、高級麦焼酎・・・・・(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*) とほほ。

この時間になるとオヤジさんはたぶん記憶がなくなっているに違いないのだ。
紅白が終わり、しばらくあいて2012年のカウントダウンがはじまり・・・3,2,1・・・
するとなんと どぉ~ん 花火の音。千波湖の「新年を迎えた花火」らしい。
きれいによく見えたよ。

ちなみに今回のNHK紅白歌合戦の視聴率は41.6%(前回比△0.3%)だったのだ。今回は「家政婦のミタ」さんがなんと40%という歴史的視聴率を記録したからNHKも大変だったろう(いずれも関東地区)。

大震災・原発事故の直接被災者の方々はほんとに大変な思いをしての年越しだ。
希望をつなぐ「25+9」、新たな決意で頑張らなければと思う大晦日なのであった。