2012年12月19日水曜日

・消費増税で公明党が迷言

公明党(山口那津男代表)は、早々景気回復がなくても消費増税はやると迷言。
  付帯決議でしたっけ、何でもいいのですが・・・要するに、景気(デフレ)が回復傾向にならなければ増税なしのはずっだった。もう公明は反旗を翻す。どういうことなのこれ。

 自公は10兆円の公共投資を先行、国債枠44兆円は見直しとした。公共投資はいくら大型でも長続きしたことはなく、借金ばかりが残った。企業は賃金を上げることもないので大衆消費の拡大にはなかなかつながらない。そこに消費増税はないだろう。

 「公明党の山口那津男代表は18日のBSフジ番組で、2014年4月に予定する消費税率8%への引き上げの判断について「スケジュールに従ってやるのが基本だ」と述べた。「勢いだから表面の固定的な数字だけではない」と指摘し、経済成長率がマイナスになっても消費増税はあり得るとの認識を示した」(日本経済新聞12/19付)。

2012年11月19日月曜日

・念願の銀河高原ビール・・・・おつかれさまでした。

やっとこさ。いただきましたよ、 銀河高原ビール。
小麦のビールてす。後味に素敵な香りが口に残るビールです。

この香りは何でしょ。

2012年10月18日木曜日

・きょうの潮流

 「もはや正気の沙汰でない」と、仲井真知事。「あってはならないことだ」と、野田首相。米兵2人が、沖縄で20代の女性に集団暴行を加えた事件です

▼2カ月前にも那覇市で、米海兵隊員が強制わいせつ事件で逮捕されたばかり。あってはならない狂気の沙汰の恐怖が、沖縄では日常です。島の大地はどれほど多く、女性たちの涙をすい、ともに泣いてきたのでしょう

▼沖縄を占領した翌年の1946年、アメリカの軍人がのべました。「(アメリカ)軍政府はネコで沖縄はネズミである。ネズミはネコの許す範囲でしか遊べない」。人々の自由を奪う占領者の言葉は、いまも昔話で終わっていません

▼まるでネコがネズミを捕まえるように女性を襲い、はずかしめ、乱暴する米兵。こんどの事件の場合、米兵は神奈川の厚木基地を出て沖縄に寄り、犯行におよんだあと、その日にグアムへ出国する予定でした。1人は容疑の一部を認めていませんが、彼らは沖縄を、無法も許される“占領者の楽園”とでも思っていたのか

▼沖縄が本土に帰り、40年がたちます。復帰した1972年からことし9月末までに、米軍人や軍属が沖縄で検挙された刑事事件は5790件といいます。1年あたり約150件。2日半に1件の割合です

▼被害者の女性は、泣き寝入りしませんでした。事件を知り、「歩く凶器・米兵 空飛ぶ凶器・オスプレイ」と憤り、基地の撤去を求める人も多い。米軍は気づくべきでしょう。沖縄をネズミと思っていたら大間違いだ、と。

(しんぶん赤旗 2012年10月18日)

2012年9月17日月曜日

・ちょっくらドライブ 2日目

Mr.Rabbi あてもなく関越を行く

 

17日(月) 国道120号 丸沼高原から湯ノ湖、中禅寺湖


ここは高原なので涼しい朝だった。
ボクの日課は、まず朝早く起きてウォーキングをしながらウンチをすること。ここでもそうした。
ポツポツ雨が降って来たので、すぐ出発することにした。

朝食は途中で摂ることにして、国道120号で、丸沼高原に向かう。
朝食はコンビニで。

9時半ごろ丸沼スキー場に到着。シーズンオフだがグラススキーをやっておった。
さてと、座禅温泉で一服。



10時ごろ、丸沼に到着。 晴れましたね。


 
さっそくふろ代わりで大好きな泳ぎを。
親爺とツーショット。
 
爺さんたちはイワナの塩焼きを。・・・・・旨い!
天然ものは放射能忌なので養殖ものです。
 この後は日光に。
12時ごろ、戦場ヶ原でご休憩。



帰路は東北自動車道~北関東自動車道に入り、昼食休憩はSAで。
笠間SAに忘れたワンバッグも戻りました。

ボクは一日中、寝ずで頑張り少々疲れました。
帰りの車の中で、ぐっすりと寝させていただきました。

ひさしぶりの楽しい2日間でした。

2012年9月16日日曜日

・ちょっくらドライブ

Mr.Rabbi 行くあてもなく 関越を行く

 

9月16日 群馬県白沢高原へ

今日は天気もよし、しかし暑い・・・・・なア。どこかの道の駅にでも泊るつもりで車にテントを積み、家族であてもないドライブに出かけることになった。

朝ごはんなしで早めにとかなんとか言って、9時をゆうに過ぎての出発だ。我が家はだいたいあてもなく「着の身着のまま」に出かけるのが常なのである。

北関東自動車道にのり笠間SAで朝食を摂ってちょっと休憩
(ここで小物の入ったRabi'Sバッグを置き忘れ・・・帰りのルートで拾っていくことにして)。

さあて出発!車に乗り込む時に上手く飛び乗れなくて、・・・「痛ッ!」・・・後ろ足を踏み外し、ちょっとこけてしまった。周りのギャラリーに笑われてしまった(うウ~・・・プライドが・・・・)。

ボクは7歳を過ぎてから食餌がいわゆる「高齢犬」用に変わった。
それから体重が増えはじめ、前々からそうであったのは変わりないが、さらに大きくなり42キロに至った。なので車高のある車に飛び乗るのは辛い。それに、会う人会う人に「メタボ犬」って言われる。

そのために、今はダイエット中で、5キロ減を目指している。


赤城高原SAでのMr.Rabbi

つぎは赤城高原SAで、二度目の休憩。
ボクがここで発見したのは、




HARLEY  DAVIDSON  煙突に彫り物が・・・


こちらはYAMAHA Wild Starとか。ほんと?
どッどッどッどどどーーーーーって。いい音たてて走っていった。

 
さ~て。次の休憩は
いつの間に~か。いつの間に~か。温泉に。

ここは群馬県白沢高原。
今日はこの温泉付き「道の駅」で野宿することになった。

周りはキャンピングカーやらミニバンの道の駅ツアのみなさんで混んでおりました。

温泉にゆったりと浸かり、疲れた身体をほぐして(ボクはダメですと言われました)次は焼き肉・宴会がまっているのです。

とても見晴らしの良いお風呂だったのだが、客人が多くてイモ洗い状態だったとかなんとか。

次の日は、たまには裏から日光というのも・・・・・・・・ということで。
丸沼高原から金精峠を越えて湯ノ湖、中禅寺湖に向かうことになったのだ。

親爺がこのことをTwしたらしく、hahahaさんから「そんな放射線量の高い地域で・・・」というRTがあったノダ。
~して
親爺:そうなのよ。もう歳ですから。
hahaha:奥利根は放射能さえ気にしなければ良いところですので楽しんでください。
親爺:ありがとうございます。い~い湯だね。ははっ。い~い湯だね。

そこで当時の「各地の放射線量」だが。

出所:日本経済新聞2012/09/15付
こんなものだった。あまり広すぎて明確ではないが、放射線量の現状はこの程度のものであった。

ところが、最近になって福島原発事故によるストロンチウム89、90の測定結果なるものが公開されているのである。

この分布状況調査によれば、なんとビックリ!
栃木~群馬の山側に広範にストロンチウムが分布していることが分かる。


関越自動車道を沼田ICでおり、国道120号線・ロマンチック街道~日光を走り込むこのコースは、放射線量の多い少ないは別にしても、実にストロンチウムの絨毯みたいな分布地域を走ることになっていたのだ。

この責任は、東電と国にとってもらわねばならないが、おいしい物をたんと食べて元気をつけようっと。

2012年9月7日金曜日

再稼働不要裏付け 今夏消費5~11%減

再稼働不要裏付け 今夏消費5~11%減(東京新聞) http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012090790071233.html ▼やっぱり課題計算のウソでした。この人たちは全く信用できないし、原発再稼働は生活が第一ではなくて、まさに軍事同盟に不可欠の政治的意義以外に考えられません。
 これを知る方々は「15%の電力不足に陥る」と主張していた関西電力の需要予測は過大だったことが明らか。専門家からは「大飯原発(福井県おおい町)の再稼働は必要なかった」などの声が上がっていると。

2012年5月3日木曜日

・嵐の中の5・3憲法フェスティバル

5・3憲法フェスティバル


   Mr.Rabbiが語る
Mr.Rabbi 2012/05 撮影
我が家の5月は何かと忙しい。

メーデー(Kaz親爺はサボった)から、5月3日の憲法記念日は大雨の嵐となり、水戸市ハナミズキ公園の憲法フェスティバルは散々だった。テントものは惨々だったが福島大・清水副学長の講演は「福島の悲しみを共有するために」をテーマに憲法からフクシマをとらえた整然とした講演だった。

憲法とフクシマを講演する福島大清水修二副学長
まa 大雨の嵐の中・・・・・ここでもほんとになんと打たれ強い人びとだ。いいや、だからこそ明日があるのだろう。

親爺の好きな言葉にこんなのが・・・・

「学問に王道はない。その急峻な道を登るに労苦をいとわない者だけが輝ける山頂をきわめる希望を持つことができる」(マルクス「資本論」フランス語版序文およびあとがき 1872.3.18)

「学問に王道はない」というのは、いくつかの説はあるが、幾何学者のユークリッドが幾何学を学んでいたエジプトの王様のもっと簡単に分かる方法はないかという文句に応えた言葉だというのが主流だと言われている。

資本論は新しい方法論で、労働者向けに書かれた書物だった。労働者にとってはそれはそれは難解であったにちがいないのだ(とくに第1章商品がもっとも難解だと言われる)。マルクスはそうした労働者のために、諦めずに頑張って読み続けられれば必ず理解できると励ました(これがお前にわかるかァ~!)ノダ。「資本論はあなた方のために書いたものなのだから・・・」と。

そうした意味で紀元前の諺を引用したのだろう。

・・・・・・けっこう横道にそれているな。


今になってみればこんな解説書もできている。解説では定評あの池上彰お父さんが書いているのです。
ボクは読めねぇから読んでないが、イデオロギー抜きでとても分かりやすいという評判のカスタマーレビューも



興味のある方はこちらから →  Amazon.co.jp


2012年4月17日火曜日

・Rabbi 9回目の春が来た

Rabbi 9回目の春。311大震災2年目の春。

311の1年後の春だ。もう1年を過ぎた。しかし、フクシマ原発事故を伴う東日本大震災によっていまだに非難者は35万人弱、最悪の不幸に巻き込まれた方が16千人。行方不明者も3千人を超えているノダ。

あらためて心からのご冥福と、お見舞いを申し上げるとともに、一刻も早い復興と再生を心から願うものであります。

出所:日本経済新聞2012/04/12

いま脱原発・原発ゼロをめぐって日本にうねりが起きている。
茨城では、「さよなら原発4・1いばらき大集会」が大きく盛り上がったり、脱原発・原発ゼロの運動が広がり、東海第二原発廃炉を願う署名は17万人を超え、11日に県の丹勝義防災・危機管理局長に署名簿が手渡された(知事は出張を理由に面会を拒否した)。

廃炉署名を手渡す「共同行動」のメンバー(県庁)
代表の塩見正衛茨城大名誉教授は「前回にも増して署名が集まった。そういう県内外の人の思いを組み取って知事には対処してもらいたい」と述べた。丹局長は「皆さんの声はきちんと知事に伝えたい」と述べた(茨城新聞HP 2012/04/11 写真も)。

しかし、日本の財界・経産省を中心に再稼働に動いている(コラッ)ノダ。

関西電力は大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働にふみきり政府が後押し態勢をとった。今日の4月17日、脱原発の市民団体が東京・霞が関の経済産業省の敷地内で集団的なハンガーストライキを始めた。唯一運転中の北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)が定期検査で止まる5月5日まで、ハンストを続ける(毎日新聞Web 2012/04/17)。というものだ。

5月5日には泊原発が定検のために停止する。大飯原発が停止していれば日本は「原発ゼロ」となる(オイッ聞いてるか)ノダ。

こんなうららかな春のたたかいの日和に
ボクたち家族は、社会的人間関係のにおける心のカサカサ感を癒すために、ウォーキングとちょこっとドライブを兼ねて花見に行くことになった。
向かうは栃木市の太平山(おおひらさん)だ。ちょこっと時期的に遅いかもしれないが・・・・・

春の足どり

水戸(逆川緑地公園 ・偕楽園公園近辺)
逆川緑地公園(小門橋・駐車場側) 2012/04/07,07:10  Rabbi

逆川緑地公園(小門橋・駐車場側) 2012/04/12,06:49  Rabbi
久しぶりの千波湖 Walking 2012/04/15  Rabbi

 逆川笠原水道 水神橋 2012/04/17,06:33  Rabbi


栃木市にある太平山へ お花見      2012/04/17  Rabbi

太平山

「おおひらさん」は栃木市大平地域(旧大平町)にある標高341メートルの小さな山だ。
ボクらがいる場所は「謙信平(けんしんだいら」と言って一番見晴らしのよい場所なのだ。この日はサクラはもう散り盛りで、鼻の頭にペタ。


近くには山本有三の「路傍の石」の石碑があるところだ。
ここの名物は太平山だんごとダシ入り卵焼きで、これを花見のつまみに一杯というのが定番。


越後の上杉謙信は1568年、小田原の北条氏康とこの地関東平野で戦い大中寺で和解。その直後、大平山に登り兵馬の訓練をやったと伝えられている。


謙信平はその名の通り上杉謙信の騎馬隊の練習場所であり、一番見渡しのよい場所。謙信がここに登って見わたしたのが関東平野。南方に美しく、空の果てまで広がったそのあまりの広さに驚嘆し、この地がほしくなってしまったのだと(かどうかは不明)。


しかし、311大震災で、もう一歩のところで東海原発が津波に呑まれ、この関東平野が放射能で汚染されることになろうとは。


2012年3月25日日曜日

・二人の孫がやって来た

二人の孫がやって来た。

Mr.Rabbiのひとり言
311から1年が過ぎた。
まだ寒いが春はもうそこまでと言うところで、桜咲く春はすぐだ。

コブハクチョウが抱卵開始!
タマゴは5個だったので5羽全部孵して 復興 ウォーカーたちにまた元気をあげてほしいものだ。
だが、年ごとに産卵(孵化)数も減っている。少し心配もあるのだ。

こんなときにあの二女の二人の娘(つまり親爺さんの孫)が水戸に遊びにやって来た。
おっと。二人の孫娘のうち、新しい孫の方はこのブログにまだ登場させてなかったようだ。

二女、いわゆるお互い天敵であるミツコの二女ということだ。
311の2月に誕生した。この家族は父ちゃんを除いてみんなオンナで2月生まれ。誕生会も年2回で済むノダ。
名前をフキコという。フッキ―である。頭がよさそうで、生意気なのだ。

2011/08のキヌ&フッキ

フッキは昨年の夏に初来水。
でもボクもオカミも親爺さんもよく来てくれた。と感激した。だって福島原発事故は、メルトダウンだぜよ。

昨年8月16日時点の福島市のモニタリングポスト測定値での最高値1.23、水戸市で0.086(地上1m0.105)、宇都宮でも0.10(地上1m)マイクロシーベルトだから比較数値的はさほど大きく変わるものではないが。(東京新宿区・大阪市で0.080)だから。ほとんど影響はないと思うが。それでも放射性物質が飛び交っているということだから。

水戸は他都府県の地域に比べると高い方だ。原発事故・放射能問題は「差別問題」もありなかなか来れないものだが、さすが科学的分別のできるミツコを褒めよう。

おーい や・め・ろ! ってぇの。

まあ 辛抱 辛抱。 2012/03/25     Rabbi

大洗水族館へ

少々雨が降りだしている24日。ボク除きで彼らは水族館やらに出かけた。
311後の開館復興記念で入場料が半額だったので行った」らしい。
うまく「イルカショー」も見れたらしく、大はしゃぎ大喜びらしくよかったよかった。



2012年3月22日木曜日

・コブハクチョウが『2012年度抱卵』を開始!

コブハクチョウの抱卵

コブハクチョウが3月下旬、ついに抱卵を開始した。つまり卵を産んだということだ。
爺が画像に収めたのは3月22日だ。



抱卵するハクチョウ。ピンボケだが、それらしくていい。     2012/03/22 PM6:19

これから卵が孵化するまでこのままじっと温めるのだ。経験学的にはゴールデンウイーク明けにはヒナが孵る予定になる。
何事もなければだが・・・、毎年のことなので分かるのだが、だいたいそんな感じだ。

コブハクチョウは母親が一羽で抱卵する。父親が母親にえさを持って来たり変わって抱卵することは見たことがない。
ときどき抱卵をサボって巣を離れ、自分のえさをとりに出かけるのでたぶんえさをとりながら抱卵しているようだ。

さて今年は何個の卵を産んでくれただろう? それが問題だ。

親爺さんは歳とはいえまだ現役で仕事なので、こんなところに長居しているわけにはいかない。毎朝Walkingで観察することになる。

さて、「吾輩はイヌである」。
皆さんはイヌのボクがハクチョウを襲うのではないかと心配でしょうから、恥ずかしながら教えておくことにしよう。
そもそもラブラドールはイギリスでつくられた水鳥猟犬なのだ。水は大好きで、水鳥を追うのが得意なのさ。

ボクはこの鳥と出会ってから3年目。いろいろ学ばされた。
まず、この鳥はボクよりもでかい。羽根なんぞを拡げるとまるで怪獣だ。
ヒナがいっしょにいるときなんぞは、羽を広げて威嚇する。とてもかなWanのだ。
それがインプットされており、だから白鳥家族には近づかない。
実は怖くてとても近寄れない。

ヒナにいつも寄り添うのは母親だ。母親は優しく、威嚇もするしたくましい。しかし、やはり敵を追い払う役目は父親のほうにあるみたいだ。
2010年4月、母親は抱卵中。お父ちゃんが威嚇しカメラに突進してくる。 04/08,05:45

ハイ、そういうことで。今年のタマゴの数は5個でした。巣から離れたすきに何度も確認しているので確かだ。
しかし、心配もある。今年のハクチョウは巣から離れることが多すぎるような気がする。
あまり離れる時間が長いとタマゴは孵化しないことがあると聞いた。

さてどうなることやら・・・・・・。

2012年3月12日月曜日

・ハルコ&ショウの親子初顔合わせ

ハルコとショウ 親子の初顔合わせ




ハルコとショウ君が、「ワタシタチケッコンシマス」と水戸にあいさつに来たのが昨年2011年の暮れだった。最高に盛り上がった年末年始だったなa。

そして、今日の3・11メモリアルデーに親同士の初顔合わせを東京駅丸ビルの「醍醐味」とかでやるというので、オカミとKaz親爺は高速バスで東京に向かった。ボクは置いてきぼりで番犬の仕事だ。


東日本大震災と福島第一原発事故から1年となったこの日は、犠牲者を追悼し、震災からの復興と原発はいらないの願いを込めた行動が全国各地でとりくまれたのであった。



11日、東京・井の頭公園(しんぶん赤旗)
11日、福島県郡山市富田町若宮前仮設住宅での被災者やボランティアの人たちが海に向かって(しんぶん赤旗)

・東京では、8000人の参加で「震災復興・なくせ原発3・11行動in東京」を井の頭公園で開催。「
被災地の福島県郡山市では、1万6000人の参加で「原発いらない! 福島県民大集会」を開催。呼びかけ人の清水修二氏(福島大学副学長)が福島県民の叫びを全国に届けようと訴えました。
・原発・高速増殖炉15基をかかえる福井県では、原発が立地する敦賀市で「さよなら原発福井県集会inつるが」が1200人の参加で開かれました。
・札幌市で開かれた「早期復興!なくそう原発!許すな再稼働!」北海道集会には2000人余が参加。
・青森市では1500人余、群馬県高崎市2500人、川崎市1600人余、静岡市1100人、長野県・松本市1800人、名古屋市5000人、大阪市8000人、神戸市2500人、高知市1100人、北九州市5000人、福岡市3000人。玄海原発をかかえる佐賀県玄海町でも650人がつどいました。
・東京・日比谷公園で開かれた「東日本大震災市民のつどい」には音楽家の坂本龍一氏ら4万人余が参加している(03/12付しんぶん赤旗)。


初顔合わせの親子6人もこの時間午後2時46分には謹んで黙とうをささげたということであった。この3・11の日に初顔合わせになってしまったというのも、何かを予感させる縁なのかも知れない。

顔合わせの宴は当然ながら原発問題や復興で盛り上がったに違いないだろうが、ショウ君の母方の故郷が石川県七尾で、それはそれは海のものが旨いということで、夏にはみんなでそこに行こうとということになった。もちろんボクことRabbiも一緒の旨い旅なのだ。

ふぐの醍醐味にて記念撮影
Kaz爺さん少し酔っ払ったとはいえ、いい約束してくれたなぁ。  (Rabbi)






2012年2月6日月曜日

・親爺さんのちょっとした東北支援のお話し

ちばらぎ鮟鱇(アンコウ)の会第3回例会


親爺さんはボクたちをおいてきぼりに2月4日、「ちばらぎ鮟鱇の会例会」という得体の知れない会合に出かけた。フラガールが全国キャラバンからハワイアンズに帰って来ている。応援に行きたい(?)。これは急な話だった。今回は真壁のひな祭り~常総市 長塚節の生家~大子町のシガの観察(ここまでは茨城だ)を経て東日本大震災・原発事故で休館に追い込まれたハワイアンズ(福島県いわき市)~フラガール支援の1泊2日の旅だというわけで、親爺から聞いた報告を報告しよう。

真壁のひなまつり 

「寒い中、真壁に来てくれる人をもてなせないか」という住民の思いから始まった真壁のひなまつり。 歴史ある町割りの中、300余棟を超える見世蔵、土蔵、門などが軒を連ね、その内の104棟が国の登録文化財に登録されています。平成22年6月29日には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 ひなまつり期間中は、そうした風情ある町並みの中に江戸から明治、大正、昭和、平成までのひな人形、手作りのつるし雛、地元特産のみかげ石で作ったひな人形などが飾られます。こうしたひな人形を飾る家は約160軒を数え、期間中に真壁を訪れる観光客は約10万人を超えます。(真壁のひなまつり・桜川市ホームページより)


311大震災で歴史的建造物も壁が剥がれ落ち、屋根瓦が落ちたままだ。


農民文学者 長塚節の生家へ

次は、常総市(旧石下町国生)へ。農民文学の不朽の名作「土」の作者である長塚節(ながつかたかし 1879-1915年)の生家に向かったのです。鮟鱇の会は結構文化水準が高いようだ。

長塚節の生家は豪農であり、とても立派な造りでした。母屋と書院が開放されていて、ちょうど、節の孫(生家の管理者)にあたるという方が東京からおいでになっておられ、口上をお聞きしました。


詳しくは → 常総市ホームページ

もうひとつ → イバラキノート

 


久慈川の氷花(シガ)

シガを見たのは生まれて初めてなのだと。何でも氷点下5度以下でそれが5日間ぐらい続いたときに、水中の水が凍りそれが水面に浮かび漂う現象なのだという。

2012.02.05,午前8時ごろ 久慈川


袋田の滝(上)も月待の滝(下)も氷結の時

久慈川の氷花(シガ) → 大子町企画観光課


・・・・・当然なのでしょうが
「泊った宿のよく暖まった部屋で呑んだ「氷花酒(シガ酒)」(要するに凍ったお酒だな)が何とも旨かったなa」と。

また久慈のソバも旨っなの。「ほんによかっぺおいらの久慈は」



さあて、初めてのハワイアンズへ

スパリゾート ハワイアンズ(旧常磐ハワイアンセンター)は、311東日本を襲った巨大地震・原発事故によって休館を余儀なくされた。

東北地方だけでなく、日本中が閉塞感の中におかれた。この時フラガールたちは全国きずなキャラバンに再び立ち上がったのだ。一回目はあの映画のように炭坑の町の娘たちは、「炭坑から観光へ」と炭鉱閉山によるいわきの危機を救うべくダンシングチームを結成しての全国キャラバンだ。

そして、鮟鱇の会がまだ一部だけ営業のハワイアンズを後にした3日後、2月8日にハワイアンズは全面再開したのであった。復旧工事42億円、それに新たに55億円をかけて新ホテル モノリス・タワーもオープンした。

しかし、宿泊料はそれなりで簡単には泊れない。スパとショーを楽しんでやむなく帰ることに。
・・・・・・・ちょっと待ってくださいよ。・・・それでいいのぉ。

今回の例会の最終目的がハワイアンズ フラガール支援だったのだが・・・・・

フラガールの雇い主は常磐興産株式会社。前身はM16年創業の常磐炭鉱株式会社でその後、昭和に入りコンクリート業、紙業などを設立。1964(S39)年に常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、常磐ハワイアンセンターを1966年1月にオープンすることになる。常磐興産となったのは1970年だ。
常磐興産株式会社を母体に、現在は
「株式会社常磐製作所」(機械・鋳物製造販売会社)
「常磐港運株式会社」(運輸・石油販売業など)
「常磐湯本温泉株式会社」(温泉供給業)
「小名浜海陸運送株式会社」(港湾運送業)
「株式会社ジェイ・ケー・インフォメーション」(旅行・広告代理店業)なども営む。


「“フラガール”は素晴らしい映画だったが・・・・深~く考えると本音のところは資本主義。大震災・原発事故で被災しハワイアンズは営業休止に。2011年度連結決算では22億28百万円の経常赤字で利益剰余金は△62億43百万円(総資本は576億62百万円)だった(11年度決算報告書)。

再び会社が危機に!・・・・・・・こんな時、労働者っていうのはほんとに頑張るんですよ。
そもそもこの人たちがいなかったら会社は成り立たない。

結構真面目な会社だとは思うけれども、これが真に「非営利・協同」の再建であったらもっと素晴らしく 映るんであろうが。
実は、親爺さんたちの「会社」は「地域の人たちと職員が一緒に頑張る非営利・協同の組織なのである」といつも自慢げに言うので・・・・あっ・・・こう言うことなのかと解るんです。

「会社の危機に、“再び立ち上がるフラガールたち”を悲劇のヒロインに仕立ててはいけないのだ」と親爺さんはつぶやくのでありましたとな。






2012.02.05 PM2:45 ショータイム


今回は、いきなり「鮟鱇の会」なるものが登場してきたがボクにはなんだかよくわからない。この次はこの鮟鱇の会についても追求しなければならない。