2011年11月6日日曜日

・「Mr.Rabbi」(1)~プロローグ

ボクはラブラドール レトリーバで名前をRabbi (ラビイ)という。
2003年8月14日、
群馬県渋川市のやまもとさんという家で生まれた。
男の子2頭、女の子3頭の5頭で生まれたその中の男の子の1頭である。
ちゃんとした「血統書」付きなのである。
その兄弟たちがどこに行ったのかはわからない。

ボクは9月に水戸の今の家に引きとられた。

実はちょっとびくびくしている僕。初日2003年9月28日の水戸の家にて
新しいご主人様がどんな人かわからなくて少し怯えていた(画像)。「こいつはボクに何をしようとしいるのだろう」、迎えに来た車の中でも暴れてみせた。

「Rabbi」という名はすぐ命名された(どうも考えていたらしい)。
犬種のLabrador Retrieverをもじったらしく、LaveとRet、それとキリスト(ユダヤ)教の有名な聖人Rabbi(司教の意)だ。
しかし、最初の名前は「Rabie」(ラビイ)だった。これが教養のないオヤジさんのいたすところで、「Rabies」とは実は、な、なんと「狂犬病」であったのである。
そのことがずっと何年も後で分かり、あわててまるまる聖人の名前に改名されたのである。狂犬と聖人とは紙一重であったわけだ。

ご主人様(以下、オヤジと呼ぼう)は下野の国に生まれ育ち、ヤクザな人であったが安房の国で経済学を勉強し、そこで、資本主義経済の行きつくところを発見したようだ(少し大げさなようだが・・・・・(-_-;) )。
貧困格差などの資本主義経済の矛盾と社会進歩の必然性を知り、社会的公共的な職を望みつつも、平和と民主主義の綱領を持つ職場を選択し、そこで社会的弱者の救済に執念を燃やしている。ということになるか。

そんな訳でオヤジさんは千葉県の、民医連に加盟する診療所勤めを皮切りに、1971年から医療を通じて社会保障制度の充実と社会進歩に貢献しようと千葉で31年、水戸に来て9年、合わせて40年、老いた今でも頑張っているようだ。えらいえらい。

それからが大変でボクは自由気ままにこの家に君臨することになる。夜はオヤジさん夫婦がいるが、ボクは紙おむつを敷いた玄関と区切られた廊下の中に放置されることになる。
ボクがそんなところにおとなしくしているわけがない。
1階から2階と走り回り、あっちにウンコ、こっちにオシッコと・・・そのたんびに彼らは「ラブラドールの飼い方」の教科書どおりにボクにお説教をしてお掃除だ。
しかし、そのおかげで家中の床はピカピカになっていた。
「ブチブチブチ・・・」のお説教なんかはお構いなしで、ガンガン走りまわり、手当たりしだい噛みまくる。ダンボールのバリケードなんかをつくられるが、そんなものはものともしない。



柱も、階段の踏み板も、壁紙も剥がし、フロアのシートも、ソファーもテーブルの脚もガリガリガリガリ、家の中、外でも四角く出ているものは何でもガリガリ。

そうしていないと生きていられないような気がした。
こうしてしばらくの期間は、家中ボロボロの戦場となった。

二人がいない昼間の時間は、2階のベランダが住まいであったが、網戸しかいたずらするものはなかったので、網戸もやむなく壊した。
まさにRabieにふさわしい頃なのである。

こんな毎日を過ごしながら、ここに来てからじっと我慢の3か月が過ぎた。3か月とはすなわち、親から離れた後、ワクチンで身体に抗体ができる頃なのである。これでやっとボクの大好きな外へ散歩に出かけられるということなのだ。
(つづく)


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