2011年11月23日水曜日

・TPP(環太平洋経済連携協定)問題の行方と展望


野田内閣はTPPへの参加を、予定を一日延期した11日夜に表明した。わざわざ延期までして、「国民の皆様のことを思うと心苦しいので・・・・」というアピールなのだろうか。

菅元首相が2010年10月1日にいきなり言いだしたTPPへの参加検討。
3・11東日本大震災と福島原発事故による未曾有の被災によっていったんは沈んだものの、国会での「早期決断」からはじまり経団連やアメリカ訪問など、外でみなさんと参加を約束していい顔をして来るというパターンでどんどん参加検討が進んでいました。

まさに覇権主義国家であるアメリカ(もちろん後押しは超大企業)と日本の財界の要求によることは明らか。超円高の問題だって誰かの仕業かも知れません。
「99%」の立場で考えれば、TPPによる恩恵は皆無でしょう。
大震災被災からの復興が第一にもかかわらず、それを棚上げしてTPP参加というのはないでしょう。

TPPはアメリカの基準に合わせて、すべての関税をゼロにするという協定で、日本国民のくらしのすべてにかかわる総合的なものです。
大震災被災県の農家は放射性物質の除染に頭をかかえながら命がけで頑張っているのです。TPPはそうした農家をはじめとして、農林漁業や中小企業、労働、医療、福祉・・・・、働く人びとの願いを叶えるものではありません。

もっとも、財界など「1%」は、グローバリゼーションの世界の住人であり、国内のことなど頭にないに違いありません。
そういう人たちに日本の農林漁業などを語っても「自由競争主義こそ農業を発展させる」と言うだけです。
医療の分野でも、「混合診療が拡大」「日本の保険医療が危ない」と言っても、「保険診療は枠外、そんな話にはなっていない」・・・・・と言うだけ。
しかし、医療は枠外ではなく話し合われているいることが明らかになっています。TPPの中身が国民の中に浸透すればするほど、参加に反対する声と共同の輪が広がっています。

そんな中、国民の食料と健康を守る茨城県連絡会は11月20日、講演学習会「TPPと私たちのくらし」を開きました。この講演を聞いてきました。
講師は東大大学院の鈴木宣弘教授です。

鈴木教授はTVをはじめさまざまなところで、決してブレることなく頑張っておられる方です。
この講演で25ページにもわたるレジメが配られました。もったいないのでこれを全文掲載し紹介したいと思います。

PDF(2.6M)で重たいので少々時間がかかるかも知れませんが。

こちらから(クリック)→  「TPPと私たちのくらし」

さらに深めたい方は 
鈴木宣弘・木下順子共著(筑波書房,2011年)

2011年11月6日日曜日

・「Mr.Rabbi」(1)~プロローグ

ボクはラブラドール レトリーバで名前をRabbi (ラビイ)という。
2003年8月14日、
群馬県渋川市のやまもとさんという家で生まれた。
男の子2頭、女の子3頭の5頭で生まれたその中の男の子の1頭である。
ちゃんとした「血統書」付きなのである。
その兄弟たちがどこに行ったのかはわからない。

ボクは9月に水戸の今の家に引きとられた。

実はちょっとびくびくしている僕。初日2003年9月28日の水戸の家にて
新しいご主人様がどんな人かわからなくて少し怯えていた(画像)。「こいつはボクに何をしようとしいるのだろう」、迎えに来た車の中でも暴れてみせた。

「Rabbi」という名はすぐ命名された(どうも考えていたらしい)。
犬種のLabrador Retrieverをもじったらしく、LaveとRet、それとキリスト(ユダヤ)教の有名な聖人Rabbi(司教の意)だ。
しかし、最初の名前は「Rabie」(ラビイ)だった。これが教養のないオヤジさんのいたすところで、「Rabies」とは実は、な、なんと「狂犬病」であったのである。
そのことがずっと何年も後で分かり、あわててまるまる聖人の名前に改名されたのである。狂犬と聖人とは紙一重であったわけだ。

ご主人様(以下、オヤジと呼ぼう)は下野の国に生まれ育ち、ヤクザな人であったが安房の国で経済学を勉強し、そこで、資本主義経済の行きつくところを発見したようだ(少し大げさなようだが・・・・・(-_-;) )。
貧困格差などの資本主義経済の矛盾と社会進歩の必然性を知り、社会的公共的な職を望みつつも、平和と民主主義の綱領を持つ職場を選択し、そこで社会的弱者の救済に執念を燃やしている。ということになるか。

そんな訳でオヤジさんは千葉県の、民医連に加盟する診療所勤めを皮切りに、1971年から医療を通じて社会保障制度の充実と社会進歩に貢献しようと千葉で31年、水戸に来て9年、合わせて40年、老いた今でも頑張っているようだ。えらいえらい。

それからが大変でボクは自由気ままにこの家に君臨することになる。夜はオヤジさん夫婦がいるが、ボクは紙おむつを敷いた玄関と区切られた廊下の中に放置されることになる。
ボクがそんなところにおとなしくしているわけがない。
1階から2階と走り回り、あっちにウンコ、こっちにオシッコと・・・そのたんびに彼らは「ラブラドールの飼い方」の教科書どおりにボクにお説教をしてお掃除だ。
しかし、そのおかげで家中の床はピカピカになっていた。
「ブチブチブチ・・・」のお説教なんかはお構いなしで、ガンガン走りまわり、手当たりしだい噛みまくる。ダンボールのバリケードなんかをつくられるが、そんなものはものともしない。



柱も、階段の踏み板も、壁紙も剥がし、フロアのシートも、ソファーもテーブルの脚もガリガリガリガリ、家の中、外でも四角く出ているものは何でもガリガリ。

そうしていないと生きていられないような気がした。
こうしてしばらくの期間は、家中ボロボロの戦場となった。

二人がいない昼間の時間は、2階のベランダが住まいであったが、網戸しかいたずらするものはなかったので、網戸もやむなく壊した。
まさにRabieにふさわしい頃なのである。

こんな毎日を過ごしながら、ここに来てからじっと我慢の3か月が過ぎた。3か月とはすなわち、親から離れた後、ワクチンで身体に抗体ができる頃なのである。これでやっとボクの大好きな外へ散歩に出かけられるということなのだ。
(つづく)